眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第21回 中国済南市での学会

新型インフルエンザの影響で日本麻酔科学会の開催が延期された

今年 4 月のメキシコでの集団感染に始まった新型インフルエンザの世界的流行が8月になっても止まらない。ウィルスそのものの毒性は低く,ほとんどの感染者が軽症で終わるものの,重症化する患者さんや死者も出ており,世界中が目に見えないウィルスの恐怖に脅えている。わが国では,5 月になって海外からの帰国者に新型インフルエンザの感染が確認され,その後,大阪,兵庫で集団感染が発生した。5 月下旬に神戸市で開催が予定されていた日本麻酔科学会は,開催地付近での集団感染の報を受けて,急遽,開催 4 日前に中止を決定した。ほとんどの準備を終えて,あとは開催を待つだけだった学会本部や学会長は,「人事を尽くして天命を待つ」の心境であったろう。その学会は 8 月に延期され,スケジュールや海外からの招待講演などの変更をいくつか余儀なくされたものの,7千人近い参加者があり盛況下に終えることができた。5月の爽風ではなく,真夏の熱風の中での学会であったが,ノーネクタイの学会でいつもよりくつろいだ雰囲気があった。8月は台風シーズンでもあり,もしその時台風が神戸に到来していたら,学会長は天命をどんなに恨んだだろう。

中国の済南市で開催の第 10 回アジア・オセアニア局所麻酔・疼痛医学会に出かける

新型インフルエンザの流行がアジアでも危惧され始めた頃,日本麻酔科学会のちょうど一週間前の 5 月中旬に,中国の済南市で第 10 回アジア・オセアニア局所麻酔・疼痛医学会が開催された。約半年前になぜか私にも講演の依頼があり,出席の返事を出していたことから,戸惑いがなかったわけではないが参加することにした。中国は儒教の国である。突然のキャンセルは礼を失することになるだろう。しかも,済南市は孔子の生まれ故郷に近い。どんな災難に遭おうとも済南に向かうのが仁義というものだろう。というような礼や仁や義の心から参加を決めたわけではない。中国に行けるチャンスはあまり訪れないだろうから折角の招待でもあり,思い切って参加することにした。しかし,招待とはいえ,旅費は自分持ちであり,宿泊費と学会登録費だけが免除されるという学会である。

格安の航空運賃で福岡から済南まで行くにはどうしたらよいか,インターネットで調べて中国東方航空を利用することにした。ただし,直行便はないので上海で乗り換えなければいけない。しかも,上海ではバスで約2時間の距離にある二つの空港間を移動しなければならない。なにか災難がおきそうな済南への旅である。中国の航空会社の時間は当てにならないから気をつけた方がいいよという声も聞こえてくる。

「時間」について古の教えと現代の中国

福岡空港発の中国東方航空機は,ありがたくも定刻より 10 分も早い離陸となった。上海でのバスの移動も,バスの中で乗客と運転手が激しく口論してバスがしばらくストップする場面もあったが,それ以外は存外スムーズにいった。上海発の東方航空機の離陸も若干ながら定刻より早かった。中国の何かが変わったのかもしれない。中国は時間にルーズな国ではなく,厳格な国に変わったのかもしれない。日本よりもむしろ時間通りに進んでいる気がする。ふと座席の前のポケットの中にある機内誌が目に入った。中国語と英語で書かれていたが,その中の記事の一つが目に留まった。「心語(words of heart)」という欄で,東方航空社長の Liu 氏の顔写真と文章が載っていた。タイトルは,走在時間前面的“東航時間”というものだった。英文のタイトルが The MU Time, Ahead of Time となっている。中国語の方がインパクトがあり,意味がよくわかる。冒頭で,社長は「我が社は時計を 10 分間前に進めて仕事をすることにする」と書いていた。そうなのか,社長のかけ声で,すべてが定刻より早め早めに進んでいるのだと納得した。

その心語の中で,社長は時間について説明している。「時間」の「時」は日と寺から成り立ち,「間」は日と門から出来ている。日は太陽を表す。寺は中国語では接近する,近づくという意味をもっている。門は囲むという意味である。よって時間とは,太陽に近づき,太陽を囲むことであり,それは,時間を追い求め,時間を自分のものとするということである。だから,太陽が刻む時を自分のために最大限に利用しなければならない。さらに,社長は,「子在川上曰:逝者如斯夫,不舎昼夜」と論語を引用する。ある日,孔子が川上に立って言われた。「逝くものは斯くの如きか,昼夜を舎(お)かず」。時の流れは川の水のごとく,昼夜を区別せず流れていく。「時間は人間存在のポジティブなあり方である。時間は感覚,思考,行動のポジティブな内的覚醒(intrinsic awareness)である」と社長は語る。孔子の言葉はここまで読み取らなければならないのだ。そこには将来への明るい希望がある。私たちは,方丈記の中の「川の流れは絶えずして元の水にあらず」というような諸行無常と重ねて孔子の言葉をとらえがちである。しかし,孔子の言葉はあくまで現世でよりよく生きるための教えである。孔子曰く,「未だ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」。死のことを考えても始まらない。生を,よく生きることを求めなさい。そのために,時間があり,そのための時間である。では,よく生きるとはどういうことか。徳行に生きることである。そして徳の中心は仁である。仁とは人二人の間に成り立つ人間の道である。二人の間に育つこころであり,思いやりである。

機内誌をめくっていると,他にも興味を惹く記事がたくさんあった。「上海故事」「青山之恋」「中国人民解放軍の上海での戦い」などなど。絵画も水墨画も載っている。とくに現代画家の Mao Guolun 氏の作品は感動的である。どの人物も動物も生き生きと躍動的に,ポジティブな存在として,描かれている。ペンとインクで描かれた絵の中に,いのちが生まれている。内的覚醒の時間がそこに在る。孔子の姿も格調高く描かれ,孔子の内面が,こころが,画面に浮き出ている。まるで,二千数百年前にスリップして実際に孔子の声が聴こえてくるようだ。また,水墨画もいい。そこに描かれた世界は,静かな動的平衡の中に,全体がゆっくりと動いている。始まりも終わりもなく,区切りもなく連続する自然の世界があり,時間がおだやかに流れている。山々や雲や川や木々が描かれ,その中に人の住む家が小さく配置されている。人間の生活は決して強調されず自然の中にとけ込んでいる。水墨画の中に時間だけが存在しているかのように流れている。

中国東方航空の機内誌と比べると,日本の航空会社の機内誌の内容は実に貧弱に見える。日本の場合,旅行記や土地の紹介がほとんどで,観光地の由緒や名所の説明や,豪華ホテルや一流レストランを紹介したものばかりである。当地の食べ物やお土産が紹介され,お金と暇があれば飛行機に乗ってみんなで観光地に行って楽しみましょうというものばかり。エッセイ文も,どこそこに行って幸せを感じたとか,満足したとか,発見したとかいうものばかり。そこでしか味わえない感動を,私が味わった感動を,あなたもぜひ味わってくださいといったものが多い。ときに文学や芸術も土地との関連で取り上げられるが,なにかお仕着せな説明が多い。所詮,機内誌に時代性や社会性や芸術性を求めても無理なのかも知れない。機内でリラックして,過ぎ行く時間を休息してください,機内誌を眠りの導入にでも使ってくださいというような思いが込められているような気がする。それに対して,中国東方航空の機内誌は,機内で過ごす時間も貴重な時間なのだから無駄のないように有意義に過ごしてほしい,どんな人も興味を持てる記事に一つは出会えますように,というようなそんな思いやりが込められているように感じる。

時間は内的覚醒である。ポジティブな人間存在である。世界がインフルエンザに脅えようと,死が近づこうと,この時間を徳のために仁のために使うことができたらどんなに幸せだろう。「四十にして惑わず,五十にして天命を知る」。すでに天命を知るべき年齢に達していながら,まだまだ惑いの中にいる自分を知る。さて,天命として私はどこに身を定めたらよいのだろう。どこに着地すべきなのだろう,と考えていたら,「まもなく着陸態勢に入ります」というアナウンスが聞こえて来た。やはり,定刻より10分早く進んでいる。


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