眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第18回 産科の麻酔 ─ 無痛分娩

産科の麻酔における麻酔科医の喜びと願い

産科の麻酔はお産を手伝う麻酔である。生命の誕生に立ち会う麻酔である。だから産科の麻酔には他の手術では味わえない感動がある。病気を治すために行う麻酔ではなく,人間の自然な営みであるお産に麻酔科医として協力する。病気を持つ患者さんに麻酔するのではなく,生まれ出る子を持つお母さんに麻酔をする。病気というマイナスをゼロにするための医療ではなく,ゼロから新生児というプラスを生む産科に参加する。だから産科の麻酔には,ゼロからプラスが生まれるという楽しみがあるとともに,それゆえに,プラスをマイナスにしてはいけないというプレッシャーが生まれる。

多くの麻酔が眠りと目醒めの間に行われるが,産科の麻酔はできるだけ覚醒した状態で行われる。母親ならだれでも新しい命が生まれるお産の瞬間をはっきりと覚醒して迎えたい。生まれ出るわが子と初めて対面する瞬間を母親は心から待ち望んでいる。そんな瞬間を眠りの中で迎えたくはない。母親はもちろんのこと,生まれ出る子もまた覚醒した状態であってほしい,意識も身体もしっかりと覚醒した子を持ちたい。そんな願いをできるだけ叶えさせてあげることが産科の麻酔では大切なことである。そして,自然な営みであるお産を麻酔という人為的行為が邪魔することのないようにしたいというのが産科を麻酔する麻酔科医のささやかな願いでもある。

無痛分娩の麻酔

産科の麻酔というと,おもに無痛分娩の麻酔と帝王切開術の麻酔の二つがある。無痛分娩の麻酔はどちらかというと麻酔というより,出産時の痛みをとるという意味で神経ブロック的要素が大きい。正常な分娩の過程,すなわち子宮の中にいた胎児が子宮の収縮とともに子宮口を下降し,膣から娩出される過程で生じる痛みを除くのが無痛分娩である。

分娩の痛みは,子宮の規則的な収縮から子宮口が全開するまでの分娩第1期と,子宮口全開から胎児が娩出されるまでの分娩第2期に分けられる。分娩第1期はおもに子宮の痛み,第2期は子宮口の痛みであり,それらは脊髄から分布する異なった神経を通して伝えられる。子宮の痛みは胸椎の 10 番目から 12 番目,さらに腰椎の 1 番目付近に伝わり,子宮口の痛みは腰より下にある仙椎の 2 番目から 4 番目あたりに入る陰部神経を通って伝わっていく。だから,無痛分娩では背中から脊髄近傍に麻酔薬を投与する硬膜外麻酔が一般的である。母親は意識を残したまま陣痛を感じずにお産を経験することができる。

無痛分娩は赤ん坊に悪影響を与えるのではないかとか,痛みをとることでわが子に対する母の愛が薄まるのではないかといった心配は無用である。麻酔をするからには合併症がゼロではないからそれに対するしっかりとした対処法を準備していなければならないが,無痛分娩そのものが児に悪影響をもたらすことはまずないし,まして,母の愛は,一時の痛みのあるなしで左右されるようなそんなやわなものであるはずがない。

しかし,無痛分娩はまだ日本では一般に普及していない。私が現在所属する九州の大学病院でも,母親に心臓病や血管病があるなど陣痛が母体に悪影響を及ぼす場合に限られている。以前所属していた関東の大学病院では,健康な母親にも無痛分娩が積極的に行われていた。地域住民への情報の広がりもあってか,多くの妊婦さんたちが無痛分娩を望んで来院していた。その病院では無痛分娩時の産科と麻酔科の連携がスムーズに行われていた。麻酔科の専門医が無痛分娩の麻酔に積極的に取り組み,産科チームの一員としての役割を担っていた。曜日を決めて産科に麻酔科医が常駐し,産科医に麻酔を指導していた。麻酔科医不足で中央手術室の麻酔科医の確保も大変なのに,よく産科へ麻酔科医を派遣できるねと他大学の教授から皮肉っぽく訊かれることがあったが,それは,あることをやりたいという情熱への寛容である。無痛分娩の麻酔に情熱をかける麻酔科医がそこにいたから可能になったのである。

無痛分娩を希望する妊婦さんたちの中には多くの女医さんも含まれていた。とくに麻酔科の女医さんたちは自分のお産に無痛分娩を希望することが多かった。麻酔科医がとくに痛みに敏感になっているという良い徴候を意味するのだろうか。いやそうではなく,こういった方法が身近にあり,簡単にできることを知っており,友達もこれで痛みなく生むことができたから自分もそうしたいという単純な理由からであろう。ともあれ,無痛分娩は,もし分娩時の痛みに意味がないものであるならば,あるいは有害なものであるならば,その痛みを回避することができる有益な麻酔法である。

分娩の痛み

分娩の痛みにも個人差がある。ある母親は人生最大の痛みだったという。ある母親は痛みがあったかなかったか思い出せないほどあっけなかったという。成書によれば,分娩時の痛みは痛みスコアーで最大の痛みを 50 として,初産婦が 30 台,経産婦が 30 を少し切る程度の痛みらしい。平均すると最大の痛みの半分よりは強いが,最大に近い痛みではなかったということになる。しかし,これは後で思い返すといくらでしたかという質問への答えである。痛いときの苦しみは,赤ちゃん誕生の感激で忘れてしまう,あるいは薄められてしまうに違いない。痛みの絶頂のときにどれくらい痛いかと訊かれたら,ほぼ最大に近いと答える妊婦さんが結構多いのではないだろうか。

陣痛で悲鳴を上げたり,なにかにしがみついたりしているお産の場面がよくテレビや映画に出てくる。間を置いて,赤ん坊の泣き声とともに母親の笑顔と涙が映し出される。痛みに苦しむ姿を大写しすることで赤ちゃん誕生の感激をより効果的に演出する。誕生前の苦しみの大きさゆえに新しい生命の誕生がより価値あるように映る。母から子への愛情に対する痛みの影響は別にしても,苦しさゆえの,痛みゆえの感動の増幅というのはありそうに思える。

本当のところ,男性である私には分娩の痛みはわからない。私の母は私のために分娩の痛みを経験した。母は3回目の陣痛を私のお産で味わった。高齢になって授かった子をこの世に出すための痛みを,母は感謝こそすれ,嫌に思った瞬間はなかっただろうと私は確信している。そのように確信することで私はどこか救われている。母と同じように明治生まれの人たちにほぼ共通する「我慢することや耐えることは美徳である」という考え方を,決して現代人に押し付けてはならないと思うが,「我慢することや耐えることは美徳ではない」と断じて,逆にそれらを回避することにこそ価値があるという現代的風潮にも少なからぬ懸念を抱いている。


本書(眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート)の詳細 本書(眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート)の詳細 本書(眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート)を直接注文する 本書(眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート)をAmazonで注文する


Copyright © 2006-2019; Medical Front Int. Ltd. All Rights Reserved.