眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第32回 麻酔科のカンファレンス

毎朝のカンファレンス

麻酔科では毎朝カンファレンスが行われる。私の病院では午前7時 35 分から始まり8時前に終了する。短時間のカンファレンスであるが,麻酔科医が全員集合する大切な日課になっている。午前8時を過ぎると手術室に患者さんが入って来るのでカンファレンスは時間通りに開始され,ほぼ時間通りに終了する。当日の麻酔を担当する麻酔科医は,その時間までに麻酔器や麻酔薬の準備を終えていなければならないので午前7時前には病院に来ていなければならないし,ときに心臓手術の麻酔など大掛かりな手術があたっているときは,午前6時過ぎに来て準備を始めなければならない。

学生の頃,麻酔科の臨床実習を回ったときは朝の早さに慣れることができず,朝がこんなに早く始まる麻酔科の仕事は自分には無理だろうと思っていたが,卒業と同時になぜか麻酔科に入ってしまった。仕事となれば早起きには慣れるもので,慣れてしまえば交通渋滞に巻き込まれることがないなど早起きの利点は数多い。何よりも夜更かしすることがなくなる。明日手術を受ける患者さんのことを思えば,夜更かしして睡眠不足の頭と体で麻酔をするわけにはいかない。だから,麻酔科で平日に飲み会を企画することはほとんどない。飲み会は週末か祝祭日の前日に決まっている。平日に飲めない分,週末につい飲み過ぎてしまうのが麻酔科の欠点かもしれない。

朝のカンファレンスでは,前日の麻酔症例について振り返りを行い,問題があった症例は麻酔記録をディスプレイに表示したり,検査データを提示したりして,何が問題であり,どのようにすべきだったのかを議論する。また,当日の麻酔について症例の紹介が行われ,意見が交わされる。一人で考えるのではなく,麻酔科医全員で症例を共有するつもりで話し合う。こういったカンファレンスは研修医にとってとくに大切な時間である。自分が担当する麻酔症例は数が限られている。自分の失敗から学ぶと同時に,他人の失敗からも学ぶことが大切である。他の麻酔科医の経験も自分の経験として血肉にしていくことが成長に繋がる。若い麻酔科医にとって,先輩麻酔科医がどのような視点から麻酔を考えどのような根拠をもって対応しているのかを知ることも,カンファレンスの大事な役割になっている。

ケースカンファレンス

ときに朝のカンファレンスだけの時間では,十分に議論できない症例がある。とくに麻酔中に大きな問題が発生した症例や苦労した症例についてはもっと時間をかけて検討する必要がある。そういった場合に,月に一度の土曜日にケースカンファレンス(症例検討会)を開いて時間をかけて検討を行っている。そこでは,麻酔中に心停止になったり,高度な低酸素血症になったりした症例やめったに出会うことのない希少症例などについて,原因の究明や麻酔管理法を話し合うことになっている。

今月行われたケースカンファレンスは小児外科の症例だった。麻酔科医になって2年目(医師になって4年目)の後期研修医が麻酔を担当した。彼は麻酔経験という意味ではすでにある程度の経験を積んでおり,ほとんどの麻酔を一人でこなせるまでになっていた。症例は5ヵ月の患児だったが,妊娠 22 週で出生した超未熟児であり,これまでにも心臓手術(動脈管結紮術)や人工肛門造設術などの手術を受けている。今回は人工肛門閉鎖術と鼠径ヘルニア根治術が全身麻酔下に行われた。手術中の麻酔は問題なく行われた。手術が終了したので,麻酔科医は吸入麻酔薬を切り,覚醒させ,気管に挿入していた気管チューブを抜管した。

その直後,患児が呼吸しなくなった。そこで気道確保をして人工呼吸を始めようとしたが,それも出来ず,高度の低酸素血症に陥った。すぐに緊急コールが行われ,スタッフが駆けつけ,気道の確保と呼吸が再開され,難を逃れることができた。しかし,その後の経過でも患児の呼吸は不安定であり,無呼吸発作が繰り返された。手術が終わってから3時間経って,ようやく呼吸状態が安定してきたので手術室を退室することができた。さて,この患児に何が起きており,麻酔の何が問題だったのか,どのようにすれば良かったのか,こういったことがケースカンファレンスで話し合われた。

この患児に起きたことは,まず気管チューブ抜去後の喉頭痙攣の可能性が高い。麻酔からの覚醒が不十分だったことが一因と考えられる。しかし,その後の無呼吸発作は別の理由から来ている。喉頭痙攣はそれほど稀なことではない。喉頭が痙攣すると声帯が閉じて呼吸ができなくなる。人工呼吸もできなくなる。喉頭痙攣は浅い麻酔状態で喉頭に刺激が加わると起きやすい。担当の麻酔科医は,患児が呼吸をし,体動が出て来たから麻酔からもう醒めているだろうと判断した。呼気中の麻酔薬の濃度も許容範囲内に低下している。そして,手術後の痛みを抑えようと醒めがけに麻薬を使ったが,麻薬が呼吸を抑制するよりも,むしろ痛みで興奮することを防いでくれるだろうと判断した。でも実際には麻酔の影響が遷延し,覚醒が不十分であったため,抜管後に喉頭が痙攣し,呼吸ができなくなった。その状況をひとりで乗り超えるだけの力量は,この後期研修医にはまだ備わっていなかった。

手術中に使用した麻薬は適切だったのか,投与量はこの患児にとって多すぎなかったか,吸入麻酔薬の使用量や中止からの時間は適切だったのか。気管チューブの抜管基準をこの患児ではどうしたらよいのか。先輩麻酔科医からいろんな意見や指摘が出る。カンファレンスで大切なことは,起きたトラブルを麻酔担当医の未熟さだけに終わらせないことである。先輩は後輩を責めてはいけない。自分だったらどうしただろうかと解決策を示さなければいけない。教科書に書いている標準的なことを言うのではなく,この症例の場合にはどのようにするべきであるかを言わなければならない。そうすることによって後輩たちは生きた知識を吸収できる。さらに,若い麻酔科医はカンファレンスに備えて超未熟児で出生した赤ん坊の呼吸中枢の発達度について,前もって調べて来て報告する。麻酔後の無呼吸に関与する因子を教科書や文献から調べて来て提示する。このようにして,貴重な一症例の麻酔経験を共有して,次の患者さんに生かすことがカンファレンスの大事な目的である。

カンファレンスでの観察レンズ

朝のカンファレンスでは約 30 人の麻酔科医のみんなの顔がよく見えるように,私は一番前に座る。全員に相対するように座り,一人一人の顔を私のレンズで観察する。朝のカンファレンスの目的のもう一つは,一人一人の今日のコンディションを見ることである。当直で徹夜をして眠そうにしている麻酔科医も入れば,体調がよくなさそうな麻酔科医もいる。今日の麻酔のために極度に緊張している麻酔科医もいる。麻酔以外のことで悩んでいる人も中にはいるだろう。家庭の問題を抱えていたり,医局内での人間関係に悩んだりしている人もいるだろう。昨日は眠れただろうか,顔色はどうか,目は輝いているか,を観察する。なるべくみんなと目線を合わせるようにする。下ばかりを向いている研修医には要注意である。ときに女医さんの目線を熱い視線と勘違いしてどきりとすることもあるが,それもカンファレンスの楽しみと思っている。

九州では冬の日のカンファレンスの時間は,まだ夜が明け切っていない。カンファレンス室の窓から背振山系の山並みが朝の光に染まっていくのを眺めながら,今日もこの仲間たちと一緒に,新しい患者さんに出会って麻酔という仕事ができることを感謝している。


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