眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第24回 移植手術の麻酔

手術の麻酔管理には高い安全度が求められる

麻酔科医の使命は,手術を受ける患者さんの痛みを除くことであるが,それ以上に大切なことは患者さんの安全を確保することである。安全の確保と一口に言っても,そう簡単なことではない。安全の確保とは,事故がないようにすることはもちろんであるが,危険を遠ざけること,安らかでまったき状態でいることを意味している。

しかし,手術は身体の一部を切開し,切除し,再建する。皮膚に守られた身体を開き,外気にさらし,手が入れられる。それは身体に異常が起きているから,その異常個所を修復するという身体の安全のための行為であるが,修復するために身体に外傷を加えるという意味で非安全な行為である。手術は潜在的に実質的に何らかの危険を有する侵襲的な行為である。危険なことをあえてするのが手術である。

手術を受ける患者さんは,手術を必要としている疾患を持っている。何らかの病気を患っているから手術が必要になっている。患者さん自身が安らかでまったき状態でないから,手術が必要になっている。出血をしているから,血管が詰まっているから,がんが大きくなっているから,気道が閉塞しかかっているから,壊死を起こしているから手術をするという具合に,その疾患自体が患者さんに危険な状態をもたらしている。

さらに手術と直接には関係ない身体の個所に故障が起きていることもよくある。いわゆる基礎疾患とか合併症とかいうものを持っている患者さんが多い。胃がんが見つかり,胃切除術を受ける患者さんが糖尿病を合併しているとか,脳手術を受ける患者さんが喘息や高血圧を合併しているとかいうことはよくあることである。こういった合併症は,手術の対象にならなくとも,手術中の身体の安全にとっては,極めてやっかいであり,知らず知らずのうちに,じわじわと安全の領域を狭めている。

このように,手術中には手術そのものが侵襲的行為であるという危険と,手術の対象となる疾患がもつ危険と,合併している病態がもたらす危険の三つがある。そしてさらに,麻酔をすることの危険がこれらに加わる。麻酔科医が行う手術中の安全確保とは,このような危険に対して,最大の防御を行うことである。手術医療では,危険はそこにある。手術をする以上は手術の危険を遠ざけることはできない。安らかでまったき状態でいるためには手術をしないことかもしれないが,それはできない。手術医療は危険度が高いがゆえに,麻酔管理にはより高い安全度が求められる。

移植医療の手術におけるプラス・マイナスを乗り越えて

いろんな手術がある。病的な個所を摘出する手術,悪化した場所を正常化する手術,痛みや不快な感覚を軽減するための手術,診断をつけるための手術,機能を回復するための手術,変形を直す手術,より美しくなる手術など様々である。これらの手術は,あくまで患者さんに何らかの利益をもたらすことを前提に行われる。痛みからの解放,生命の延長,生命の質の改善,快適な生活,といった何らかのプラスが患者さんにもたらされることを期待して手術が行われる。手術医療が持っている侵襲的な側面,攻撃的な側面,危険な側面,マイナスの側面は,手術によってもたらされるプラスの側面によって打ち消され,結果的にプラスがマイナスよりもはるかに大きいという認識で行われる。そしてそれはあくまで手術を受ける患者さん自身にとってのプラス・マイナスで考慮されなければならない。

しかし,移植医療の手術ではそのプラス・マイナスのバランスが大きく崩れる。移植医療では,移植を受ける患者さんと臓器を提供する人がいる。移植を受ける患者さんのプラスのために,臓器を提供する人が手術を受ける。その人は患者ではない。臓器提供のために手術を受けるのは患者ではない。プラスを受ける患者さんは,臓器摘出の手術には参加せず,身体的なマイナスを被る人が手術台に横たわるのである。もともと安らかでまったき状態の人が自分の身体の病気のためにではなく,他人の身体に自分の臓器を移植するために手術を受ける。

移植医療では,手術を受ける臓器提供者のプラスがマイナスを上回ることは,身体的な面ではありえない。自分の臓器が他人の身体の中で機能を発揮して活躍できることを自己の身体性のプラスと考えることもできるかもしれないが,そのプラスは自己から離れて他者の身体となって発揮されている。それよりも,移植医療では,大切な人を助けてあげたい,病人の役に立ちたいという願いがかなうという精神的なプラスが手術のマイナスを超える大切な要因になっている。命が救われ,家族の絆が高まり,無償の愛がかなえられ,慈しみの心や奉仕の精神が発揮できるといった精神的な充足が大きなプラスになっている。

手術の対象になる移植には,腎移植,肝移植,肺移植,心臓移植,骨髄移植,角膜移植などがある。それ以外にも膵臓移植や小腸移植など脳以外のあらゆる臓器や組織の移植が今では可能になりつつある。心臓移植の場合の臓器提供者は脳死者に限られ,脳死状態を死体とみなして動いている心臓を摘出するので,麻酔科医が麻酔管理を担当することはない。腎移植や肝移植でも脳死者からの摘出があるが,その場合にも麻酔科医が麻酔管理をすることはない。脳死者は,深い昏睡状態にあり,麻酔状態よりももっと遠くの世界で生きている。脳死者は麻酔の及ばぬ世界に生きている。腎移植では,心停止,呼吸停止を確認したあと,死体から腎臓摘出が行われることがあるが,その場合も麻酔をすることはない。死体は麻酔のすでに届かぬ世界で死んでいる。

生体からの移植の場合に,臓器提供者(ドナー)に対して麻酔が行われる。生体腎移植や生体肝移植では,通常は家族の中からドナーが現れる。妻や夫や兄弟がドナーになることが多い。移植の麻酔を担当する時に,いつも家族の絆について考えさせられる。移植医療の根源的な問題が私を揺さぶる。病む人を助けるために健康な人が危険を冒して臓器を捧げるという愛に満ちた行為に,進んで踏み込める人と,どうしてもその決意ができずに家族の中で孤立しかねない人もいるだろう。家族の絆がいっそう強くなることもあれば,逆にほどけてしまいそうになる場面もあるだろう。生体からの臓器移植は,家族の絆の踏み絵になりかねないという側面が潜んでいるようにも思う。

私だったらどうするだろうか。子どものためなら臓器を提供するだろうか。きっと私もそうするだろう。親が子の命のために痛い思いをしたり,危険を省みないのは自然なこととして受け入れられるような気がする。しかし,逆の場合はどうだろう。親の私は,私の延命のために子どもの危険を望むだろうか。兄弟の場合はどうだろうか,ためらわず提供するだろうか。あるいは受け取るだろうか。甥や姪の場合はどうだろうか。姪が肝臓移植でしか助からないと言われ,私の肝臓だけが彼女を救えるとしたら,私はためらわず手術を受けるだろうか。その逆の場合,姪に肝臓を譲って欲しいと相談することが許されるのだろうか。とにかくそんな状況が来ないことを願っている。

配偶者や親子や兄弟からの移植だけでなく,親戚からの肝臓移植が行われることがある。若い未婚の女性が,還暦前の叔父を助けるために,手術を受け,肝臓の一部を与える。彼女の決断に心から敬意を払うとともに,親族間でどのような話し合いがなされ,どのような気持ちで女性が手術を引き受けていったのかと思うと,息苦しくなる。そんな彼女の麻酔を担当する時には,なにがあっても彼女だけは事故のないようにしよう,絶対ということはありえないにしても,絶対と言えるほど確実に,安全を確保しなければいけないと思う。

骨髄移植の麻酔

家族や親族など血縁関係者とはまったく異なる,まったくの他人からの移植が,骨髄移植である。骨髄移植ではまったくのボランティアに麻酔を行い,骨髄が採取される。それは疑うことのできない善意の提供である。それゆえ,安全確保の質を最上級に高めなければならない。理想的には,すべての手術に対して安全確保の質を最上級にすべきではあるが,人的,環境的,組織的な面から安全確保の質には少なからず違いが生じる。すべての麻酔管理で最低限の安全確保は維持されなければならないが,麻酔科医の安全確保への覚悟は,患者と手術の内容によって違ってくる。

ドナーのための麻酔が普通の手術の麻酔より安全確保の質を高めるのはどうしてか。病人は手術によってプラスを受けるがドナーは身体的プラスを受けないからか。それもあるがそれだけではなく,ドナーの善意に応えなければならないからである。ドナーだけにはどんな被害も与えたくない,その善意を,無償の愛を,悔いの残らないように成就させてあげたいと願うからである。

患者さんの安全を確保するという麻酔の使命からみて,臓器提供者の麻酔ほど徹底的に私たちの本来の使命を達成することが求められる麻酔はない。


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