眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第34回 東日本大震災

その日

その日,2011 年 3 月 11 日午後 2 時 46 分に大地震が東北関東地方を襲った。マグニチュード 9.0 という阪神淡路大震災の 1000 倍にも相当する巨大地震だった。激しく長い大きな揺れのあとに,大津波が襲来し,東北から北関東にかけて太平洋海岸地域が壊滅的な大被害をうけた。地殻が断裂し,地層がゆがみ,海が大きく立ちあがった。一瞬にしてすべてが壊れ,失われ,消えていった。地球が怒っているとしか思えないような,海が怒っているとしか思えないような,想像を絶する大災害が起きた。

その日,午後 3 時 20 分頃,テレビで地震速報を放映していると医局員が教えてくれた。テレビを見ると,どこの漁港だろう。画面は小さな港を映し出している。何艘かの船が一斉に沖に動き出している。津波の到来を警戒して沖に全速力で逃げている。すでに海全体が騒ぎ始めていた。白い波が次第に勢いをまして沖からやってくる。港のなかに渦が巻き始める。逃げ遅れた船が流され始める。自由を失った船が岸壁に向かって突進していく。

私たちは,その光景を黙って眺めているだけだった。呆然とするほかなかった。チャンネルを変えると別の海岸が映し出されている。津波はすでに倉庫を襲い,岸壁を越え,車を流し始めていた。これが日本のどこかに今起きている光景だということが信じられなかった。定置カメラからの映像だろうに,現場の悲惨な光景をあまりに的確に同時進行的にとらえていることが不思議に思えた。しかし,現実はもっともっと悲惨な光景が,惨状が同時刻にあちこちで繰り広げられていたのだった。私たちは,青森県,岩手県,宮城県,福島県,茨城県,千葉県の多くの地域で,人々が,家々が,車が,船が,街が流され,濁流に呑まれていることを,その時はまだ知らなかった。テレビの前にいる私たちは沈黙しているだけだったが,同時刻にあちこちで濁流に呑まれている万余の人たちがいて,助けをもとめ,必死に叫んでいたのである。

原発炉心溶融

大震災は大津波を起こして,街を呑み込み,人を連れ去っただけではなかった。新たな困難が次から次へと襲ってくる。とくに福島第一原発の炉心溶融は,被災地だけではなく日本中に大きな影響をもたらしている。世界中に恐怖と不安を起こしている。現時点では今回の放射能被曝で死んだ人は一人もいない。だから何万人の死者を出した大津波に比べればなんのことはないはずである。それにもかかわらず,放射能の恐怖に世界中が脅え,不安の中に終息の推移を見つめている。

福島第一原発の近隣では住民が避難し,野菜が廃棄され,原乳が捨てられ,水が飲めなくなっている。すでに2週間経った今も,一向に問題は解決せず不安だけが増幅している。原子力に頼っていた日本の電力は大幅に供給が不足し,関東地方を含めた東日本で停電や節電を余儀なくされている。

いったい何が起きているのか。ニュース報道では専門家が原子炉の略図を使いながら現状を詳しく説明してくれている。われわれがこれまでいかに原発のことを知らなかったのか,あるいは原発の危険性を知らされずにいたのかが,今になって,もう遅すぎるかもしれないが,ようやくわかってきた。日本の原発はまず大丈夫だろうとほとんどの国民は信じていた。しかし,所詮原子炉とは,半永久的に危険を絶対には回避できないものだったのだ。核燃料を動かし始めたとたん,もうあとに戻れないのである。原子崩壊のエネルギー放出を止めることはできない。使用後であるにもかかわらず核燃料はいつまでも熱を出し続ける。その冷却のためにいつまでも水を供給し続けなければならない。廃炉も解体も簡単にはできない。私たちは高レベルの放射性廃棄物の処分をどうするかまでの見通しを立てないまま,安全対策を完璧に打てないまま,原子力エネルギーに頼り,恩恵に与り,生活を維持してきた。現在を豊かに快適に過ごすために電力消費を増大させ,原爆の悲惨さを知っていながら原子力エネルギーに頼って来た。現在の生活のために,過去の教訓を忘れ,未来の危険に目をつぶっていた。しかも多くの原発が都会を離れて地方に置かれている。都会の生活のために,地方の危険に目をつぶっていたのである。

事態は簡単ではない。原子力エネルギーを放棄するとして,原子炉を制限するとして,生活に必要なエネルギーをどう確保するのか,もうすでに抜き差しならない状況になっている。石炭や石油などの化石燃料は CO2 を排出し地球を汚している。なにより,このまま使い続ければ化石燃料は枯渇し,いずれなくなるだろう。風力も水力も太陽光もエネルギーとして確保するには,問題が山積みである。それでも放射能まみれになるよりはいいと,今はみんなが思っている。

20 世紀に科学者は原子核を分割することを発見し,巨大なエネルギーを作ることに成功した。政治家はそれを戦争の武器として使用し,広島と長崎で威力を証明して見せた。同時に,核エネルギーが世界を滅ぼすことができるほどの脅威にもなることも証明してみせた。そして,今回,世界中で稼働中の原子炉が制御不能のリスクをゼロにできないこと,もし制御不能になったら放射能汚染により地上に人間が住めなくなるということを,被爆国の日本が再度,身をもって示している。21 世紀の今,エネルギー問題にどのような解決策があるのかを,科学者,政治家だけでなく一人一人が知恵を出しあって考えていかなければならない。

その日以降

3月 27 日現在,死者 1 万人,行方不明者が 1 万 5 千人を超えている。まだ全体の被害状況をつかめない地域もあるという。東北地方の海岸に住む善良で誠実で忍耐強い人たちが多く犠牲になった。逃げられたのに動けない人を助けようとして戻ったところを津波に呑まれて亡くなった人もいる。

<逃げられし逃げられざりし運命を助けんとして逃げざりしひと>(SH)。

消えてしまった街に向かって「おかあさーん,おかあさーん」と声をかける少女の涙が胸を打つ。立ち直ることはどんなにか困難な道のりであろうかと思うが,日本中で世界中でいま支援の輪が広がっている。

今回の大地震と原子炉溶融がもたらした大災害を乗り越えて行くには,被害に立ち向かっていくためには,新しい生き方,新しい価値観がわれわれに求められるだろう。これまで,あまりに便利を求め,贅沢を求め,快楽を求めて来たのではなかったか。繁栄だけを求めて来たのではなかったか。自分さえよければいいと思ってきたのではなかったか。科学の進歩に頼りすぎていなかったか。今,被災者のことを思えば少しの不便は我慢しようとみんなが思っている。今,被災者のために自分に何かできることはないかと日本中のだれもが思っている。今,日本中の人が被災者の痛みを自分のいたみとして感じ取っている,そのことを大切にしたい。

亡くなられた人たちの死が無駄ではなかったと思われるような世界がやってこないだろうか。3月 11 日を境に,贅沢から節度へ,自己中心の社会から他人を思いやる社会に日本が変わる。テレビゲームやインターネットの仮想世界で遊んでいる子どもや青年たちが,社会奉仕活動に乗り出す。悪口や非難ばかりせず相手に感謝し,協力するような社会へ。マザーテレサが来日して新幹線の中で紙コップを捨てることができず大事に持ち帰ったように,ものを大切にし,他人の痛みを自分のいたみとしてふるまっていくような社会に変わっていかないだろうか。そうすることが,3月 11 日の幾万の人たちの濁流の中の必死の叫びに真に耳を傾けることではないかと思う。


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