眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第22回 有朋自遠方来 不亦楽

空港から済南市内へ

中国東方航空の飛行機は定刻より早く済南空港に到着した。学会事務局から前もってメールで知らされていたように,到着ロビーには出迎えの青年が待っていた。聞けば学会を主催している大学麻酔科の教室員だということである。ホテルまで車で送ってくれるという。あまり上等とはいえない車だったが,青年麻酔科医は中国の高速道をビュンビュン飛ばしてくれた。まるでF1のレースで前を行く車を 1 台でも多く抜き去ることを使命にしているドライバーみたいに,あるいは,時間を争ってゴールを目指すサファリラリーのドライバーみたいに。車線変更も割り込みも躊躇せず遠慮もない。彼ならきっと麻酔の危機もぎりぎりのところで巧みにさばくだろう。荷を山積みにした大型トラックを追い越すたびに,こちらに荷が崩れて来て車もろとも潰れてしまうのではないかと,こちらは内的覚醒をして冷静ではいられなかった。空は全体に霞んでいたが,雲っているのか,スモッグなのかよくわからない。道の横には田園と柳の並木がどこまでも続いている。柳が大きく風に揺れ,髪をなびかせて出迎えてくれる女性のようだった。

ホテルに着くと,運転してくれた教室員が学会の抄録集やプログラムやパーティの案内などが入ったバッグを持って来てくれた。教授に命じられての接待であろうが,その親切に頭が下がる。彼からプログラムの内容が大幅に変更になっているのでこれを見ておいてくださいとコピー用紙を渡された。ホッチキスで綴じられた新しいプログラムには発表者と時間の変更が載っていた。日本から予定されていた 5 人の講演者のうち,名前が載っているのは私一人である。他の 4 人の名前はない。アジア各国からも何人か欠席者が出ているが,日本からのキャンセルが一番多い。あとで聞いてみると,勤務先の大学や病院から,新型インフルエンザのため海外への渡航は控えるようにとの指示があったので失礼したということだった。特別の用事でなければ渡航は控えよとのことだったらしい。キャンセルした人の代わりに,予定されていなかった座長の役が新しく私に入っていた。急な変更で前もっての連絡はできなかったのだろう,まあ仕方がない。

熱烈歓迎「有朋自遠方来 不亦楽」

学会当日は,午前8時から開始となっていたがその時間になってもなかなか始まらなかった。壇上の準備もまだ終わっていない。結局,会長の開会の挨拶が始まるまで相当の時間が経過した。いざ学会が始まっても,会場ではおしゃべりをしたり,携帯電話を使って話している人もいる。会場の出入り口近くに喫煙所があって,煙草の臭いも気になる。トイレの床も泉が湧いているように水びたしである。この辺は日本の厳格さと清潔好きを見習うべきだろう。「有朋自遠方来 不亦楽」。ようこそ,中国へ,済南へ,遠くから来てくれた皆様,友人の皆様に感謝しますと,会長が熱烈歓迎の意を伝えた。

私は,座長の仕事と自分の発表が 1 日目で終了したため,2 日目の午後を自由時間に当てた。そうしたら,主催者の一人である Mok 医師から,われわれの仲間が車で観光案内をするから午後1時にホテルの玄関に来るようにと言う。遠くから来てくれた友人に対する中国人として当然のおもてなしだという。結局,香港から参加した Karmakar 先生と私は教室員の車で市内観光をすることになった。本当は孔子の故郷である曲阜まで行きたかったが,車で3時間ほどかかるといわれ,諦めざるをえなかった。

泉の都 済南

済南は古来より泉の都として知られており,済南 72 泉といわれるぐらい市内のあちこちに泉が湧いている。とくに有名なのは趵突泉であり,地下から透明な湧き水が間断なく吹き上げている。その泉を囲んで大きな庭園が作られている。趵突泉でゆっくりした後は,近くの大明湖に連れて行ってくれた。大明湖は,面積 46 ヘクタールもある天然湖で,湖の中央あたりの島に中国古来の建物があり,小舟でわたることができた。話によると,李白と杜甫が遊んで詩を作ったところらしい。何千年もいや何万年も変わることなく沸き上がる泉,泉によって作られた巨大な湖,水の恵みが万物を育て,人間を育て,詩が生まれる。

千仏山登山

3日目は帰国の日である。出迎えに来てくれた教室員がまた空港まで送ってくれるというので,飛行機の時間に合わせて,午前8時にホテルのロビーで会うことにした。実はどうしてもあと一個所,行きたいところがあった。それは,千仏山である。海抜 285 m の山であるが,ホテルからそんなに遠くない。時間的には厳しいが,早朝に走って登ることにした。地図から判断して往復 2 時間で行けるだろうと思って,午前 5 時に起きて登ることにした。その名の通り,山全体が信仰の山であり,岩壁には多数の仏が彫られている。その日は日曜日で快晴。霞がかかっていない。昨日と一昨日のどんよりとした空は,やはり工場のスモッグだったのかもしれない。地図を手にホテルから走り出した。すでに歩き出している早起きの老人たちもいる。しばらくして山を囲む道にたどり着いたが,頂上への道がなかなかみつからない。やっと見つけた道は,けもの道のように次第に細くなっていく。やがて道らしい道はなくなり,岩だけになってしまった。引き返すには時間がない。上に登って行く限り頂上に近づけるはずである。岩の上にも道はある。這うようにして登った。すると,ぱあーと視界が開けて,その先に頂上が見えてきた。予定より時間がかかってしまったが,その分,汗をしっかりとかいて頂上に立つことができた。頂上からは市内全体が展望できた。千の仏が千の風になって千仏山を吹き渡っていた。

千仏山には,仏教寺院だけではなく,道教の宮もある。ここには釈迦も孔子も老子も共存している。空と天と道が混ざり合っている。ほとんど同時代に生き,根本的な思想は異なるものの,人間のあるべき生き方を説いた点では共通する三人。釈迦は「空」を観,孔子は「天」を知り,老子は「道」に従った。私は,千仏山の頂上に立ち,道の上の空を見,空の上の天を仰ぎながら,大きく気を吸い込んだ。すると急に,水が欲しくなった。たまらなく水が欲しくなった。「上善若水」,水のように生きるのが最善なのだよという声が聞こえて来る。私は水を求めて山道を駆け下りた。


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