眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第43回 東日本大震災(5):蘇生

あの日,3 月 11 日から 9 ヵ月が過ぎた今も東日本大震災の苦しみが続いている。それは当然のことだろう。あれだけの大災害が起きたのだから。家を無くし,土地を離れ,避難所で暮らす人たちの不便が続いている。仕事が出来ずに途方に暮れている人たち,家族離ればなれに暮らしている人たち,そして,依然として行方不明の人たちが大勢いる。そんな中,被災地のあちこちから力強い復興の足音も聞こえ始めている。

海の蘇生,森の蘇生,自然のちから

先日のテレビ放送で気仙沼の唐桑地区の漁師たちが紹介された(12 月 12 日放送NHK「奇跡のカキ」復活へ)。カキ養殖のプロと呼ばれている漁師(畠山重篤さん)とその仲間たちの震災後の8ヵ月間を追いかける番組だった。津波でカキ養殖場が壊滅的な被害を受けた。しかし,漁師は海を恨まなかった。家族の命を奪い,仕事場を破壊した海であるが,彼は海を信じた。これまで海で生活し,海から命を与えられ生かされてきた。だから,漁師は海をうらむことはなかった。海を信じるという彼の声が届いたのか,瓦礫と汚泥の降り積もっていた海が少しずつ蘇生していく。プランクトンが現れ始め,魚が住み始め,カキが育ち始めた。完全な復活というにはまだまだ遠い道のりだが,漁師たちに笑顔が戻って来た。

畠山さんが海の蘇生を経験したのは二度目である。以前,赤潮が発生して死に瀕していた気仙沼湾を蘇生するために畠山さんがしたことは,山に木を植えることであった。カキを育てるプランクトンの量は,森の腐葉土から溶け出す特別な鉄分に左右される。森が海を蘇らせてくれることを知った畠山さんは荒れていた山に木を植え始めた。畠山さんの小さな植樹活動が人々を動かし,輪になって広がって行った。長い時間がかかったが,木が育ち,森となり,森が栄養分を海に注ぎ始めた。そして,気仙沼湾の海に命が蘇ってきたのである。

傷ついた自然を,死にかけた自然を蘇らせてくれるのはやはり自然のちからである。その自然を信じて自然を破壊しなければ人もまた蘇ることができる。東北地方の自然はこのような自然のちからによって必ず蘇るだろう。そしてそこで暮らす人たちにも自然のちからと仲間のちからによって蘇る日がきっと来るだろう。ただ一つ,放射能汚染だけを難題として。

先端科学への盲信が人々を苦しめる

原発事故を受けた今の福島の現状は復興からはまだまだほど遠い。つい最近も福島産のお米のセシウム濃度が基準値を超えたため,出荷停止になった。農家にとってなんという残酷な仕打ちだろう。福島原発から何十キロも離れた場所であるにもかかわらず,精魂込めて作ったにもかかわらず,出来上がったお米の行き場がなくなってしまった。都会で消費される電力供給のために遠く離れた僻地に作られた原子力発電所であるが,先端科学への盲信が先祖代々の土地で質素に静かに生活していた農民たちに両手両足をもぎ取るような苦痛を背負わせている。

蘇生学会

先月,福島市で日本蘇生学会が開催された。今最も蘇生が必要な場所と思われる福島で,蘇生学会が開催された。2年以上前に開催地は決まっているので,今回の原発事故を受けて福島での開催が決まったわけではない。たまたま今年,原発事故が発生した福島で蘇生学会が開催され,心肺停止者への蘇生法などが議論された。心肺停止者の蘇生では蘇生後の脳障害が問題になっている。心臓や肺が動き出しても,脳が蘇らなければなんにもならない。しかし,脳を蘇らせる特効薬はない。できるだけ早く蘇生を始め,できるだけ早く自己心拍が始まるようにすることが重要である。

蘇生学会の二日目の午後,私はレンタカーを借りて福島市から南相馬市に向かった。車を走らせ始めると,なぜか道沿いの交差点に警察官が点々と立っている。どうもおかしい。私の行動を察知して警察官が先回りして見張っているようだった。私が原発事故の警戒区域に近づこうとしている情報を警察が察知したのだろうか。そんなはずはない。空にはヘリコプターが旋回し始めた。これはもう逃げられない。私は隠れ処を探し,道沿いに見つけた「忍ぶの里」にしばし忍び込むことにした。そこには「信夫文知摺(しのぶもちずり)」という巨石があった。その昔,嵯峨天皇の皇子である源融が「みちのくのしのぶもちずり誰ゆえに乱れ染めにし我ならなくに」という悲恋を詠んだ場所でもあり,芭蕉も訪れて「早苗とる手もとや昔しのぶずり」という句を残したところでもある。ちょうど紅葉の真っ盛りで,木々が赤い涙,黄色い涙を溢れさせていた。

やがてヘリコプターの音も遠ざかったので,私は再び,南相馬市に車を走らせた。道沿いの警察官はもう消えていた。あとから知ったことであるが,そのものものしい警戒はちょうど来日中のブータン国王夫妻が私と同じ道を通って福島から相馬市を訪問したためであった。国賓として来日中のブータン国王に対する福島県警の護衛であった。新婚旅行先で津波の被災地区まで足を運んで鎮魂の祈りを捧げてくれたブータン国王夫妻の励ましがきっと亡くなった人たちの魂にも届いたことだろう。

フクシマの蘇生

私は,車を走らせ,相馬市からさらに国道 6 号線を南下した。しばらく行くと突然,立入禁止の表示と警察官らしい数人の監視人と護送用バスに遮られて,道路が行き止まりになった。日も暮れて来たので,私は立入禁止区域の境界線近くに宿をとり,周辺を自分の足で歩いてみることにした。海岸の近くといっても海までは 1 キロ以上もある田んぼの中に,漁船が点々と乗り上げたままになっている。境界線の近くでは農道にも立入禁止の鉄柵が立てられている。線路にも立入禁止の柵が立てられている。しかし,柵以外は,日本のどこにでもあるのどかな田園風景がこちらにもあちらに広がっている。柵の向こう側に人気はなかったが,鳥獣虫魚草木たちの啼き声が聞こえてくるようだった。東方に立てられているはずのコンクリートの発電所は見えないが,西方に見える東北の山々のその稜線に沈みゆく夕陽が,行き場のない農民たちの気持ちを鎮めるように,神々しく赤く光っていた。

原発事故で飛び散った放射能は,日本中の地上に,海上に,頭上に,そして心の上に降り注いだ。消えるまで十万年もかかる放射能があるという。自然の力を借りるにしてもあまりに遥かな時間である。私たち人間は,この百年間にとんでもないものを手に入れた。原子核という自然を人為的に破壊する方法を発見し,そこから得られる巨大なエネルギーで自分たちの仕合せを得ようとした。そのエネルギーは人間のちからではどうすることも出来ないほどのパワーを持ち,人間はもちろんのこと,自然をも蘇生不可能なほど破壊するパワーを持っている。私たちは,もう引き返せないのだろうか。自然を壊して得た仕合せは,自然から残酷な仕打ちを受けるだろう。

自然を壊して進む医療もまた,自然から仕打ちを受けるに違いない。先端医療と言われるものの中には,自然を破壊して進んでいる医療も多い。人間の心肺停止に人為的科学的蘇生術を施しても,手遅れになれば脳が蘇生することはない。脳が蘇生するためには,できるだけ早く自然な循環が始まるようにしなければならない。「自然を信じれば自然はきっと私たちを蘇らせてくれる」というカキ養殖の漁師の言葉は,科学を盲信し,自然を壊して突き進む先端医療の担い手たちにも鋭く突き刺さるものである。


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