眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第39回 どうして麻酔科を選んだか

大学に入学後,私はワンダーフォーゲル部(ワンゲル部)に入った。当時のワンゲル部は学生に人気の部活であり,部員が数十人にも上っていた。文学部の繊細な学生や,法学部の律儀な学生,経済学部の理論派,農学部のバンカラ,工学部の几帳面な学生など,渾然としたクラブだったが,ほぼ共通するのはみんな素朴で自然を好きだということである。女子学生もいたが,可憐な女子というよりはむしろ男勝りの行動力と勇敢さをもった女性が多かった。そんな仲間たちと合宿中に同じ釜のめしを食い,共に汗を流し,夜はテントの中でろうそくの明かりを囲んで山の歌を歌ったり,恋愛や夢を語りあったりするのが楽しかった。

大学時代は,部活以外にも自分のことを考えるための時間がたっぷりあった。同級生の中には早くから政治や社会に関心を示し,階級的構造や社会的矛盾に立ち向かっていく闘士もいたが,私はまだまだ自分に自信が持てず,私的関心に過ぎないが人間的関心でもある自由とか生き甲斐とかいったことを考えて過ごしていた。と同時に二十歳前後の若者の内部に沸き上がる得体の知れない熱情と不安に身の置き所がなくなる時もあった。その熱情と不安を鎮めるために小説や評論や詩を漁読した時期でもある。そんな中,フロイトやフロムにも出会った。もし,愛に眠りと目醒めがあるとしたら,フロイトの愛は無意識の眠りの中にあり,フロムの愛は自覚的な目醒めの中にある。私は,青春の混沌の中で,時に眠ったり,時にはっと目醒めたりしていた。

各科の臨床実習で思ったこと

そんな眠りと目醒めをくりかえしているうちに,医学の専門教育が始まり,やがて臨床実習が始まった。臨床実習では内科や外科や産婦人科など全ての診療科を短期間ずつ回る。当時の私は,精神的な事柄に興味を抱き,精神を扱うことこそが人間的で大切なことであるように思っていたので将来の専門をできれば精神的な事柄を扱う科にしたいと思っていた。しかし,それが短期間の精神科臨床実習で脆くも崩れ去ってしまった。

精神科病棟で行われていた当時の治療は薬物による精神機能の抑止あるいは停止が中心であった。薬物による抑制は精神の異常を静穏化できるかもしれないが,精神を病む人たちを根本的に治す治療ではないのではないか。興奮し不穏で彷徨っている患者を薬物で沈静化する治療は,精神機能を一時的に停止させているだけで正常な機能に戻す治療とはほど遠いような気がした。一時的な精神機能の停止からどうやって精神科医は病気を治していくのか。そこには長い時間と辛抱が必要な気がした。つまり精神科医の仕事は,ただことではなく,時間をかけて患者に接し,辛抱強く待ち続ける仕事ではないかと思った。私にはとうていそのような辛抱はできないのではないだろうかと思うようになった。

そこで私は精神の事柄からきっぱりと足を洗い,精神とは正反対の身体的な事柄のみを扱う科に進もうと決めた。身体が病むのを治すことは,簡単とは言えないが,少なくとも時間をかけて悩む必要はない。傷ついた臓器を修復する仕事,時間をかけずその場で人の命を救う仕事,止まった呼吸を再開させ,止まりかけた心臓を動かし続ける仕事,すなわち外科的な仕事,救急医療の単純な仕事に惹かれていったのである。

医学部 6 年生の秋に私は大阪に病院見学に出かけた。現在のような卒後研修必修化制度はなく,卒業生の多くは自分の母校か郷里で研修を始めていた時代であったので,九州から大阪や東京まで出てみようという同級生は少なかった。大阪を選んだ理由は,当時全国に先駆けて特殊救急部を作ったO大学病院と,「命だけは平等だ」という理念と 24 時間救急医療を掲げて誕生したT病院が大阪にあったからである。

訪問したO大学病院の特殊救急部で相手をしてくれた救急医は時間をとって自分の仕事ぶりを学生の私に説明してくれた。たぶん当直明けだったのだろう,疲労を隠しきれない救急医は,救急部の仕事がどんなに大変で眠る暇もなく疲れるものであるかを私に説明してくれた。救急医療の魅力より救急医療の大変さを多く語ってくれた。一方,八尾にあるT病院の院長はアメリカ帰りの循環器内科の先生であった。T病院の理念というよりも,自分の経歴や理想を熱く語ってくれた。卒業したらぜひうちに来いと強く言われたが,米国流のスマートさに付いていく勇気が今ひとつ起きなかった。結局,両方の病院にも私は身を投じることができなかった。

そうして卒業の時が迫ってきた。何科に入るかを考えるより,卒業試験や医師国家試験のことを考える時期になっていた。そんな頃,麻酔科の医局説明会に参加し,なにかよくわからないがワンゲルに通じるような人間的な素朴さを麻酔科の人たちに感じた。麻酔科は脳の所産である意識を封じ込めて,身体の声にのみ耳を傾けて仕事をすることができる。精神の呪縛から離れて,生命を素朴に健気に守っている科が麻酔科だった。バイタルサイン(生命徴候)という根源的な揺るぎない価値を持つ生命の徴を追いかけて仕事をすればよい。この単純さが麻酔科の魅力だった。

麻酔科には多様な人たちが集まっているような気がした。麻酔科は自由度が高い,というより,不自由度が低いと思った。この医療やこの理論こそが正しいとか,医者はこうでなければならないとかというような方向づけが自分の良心以外の権威によって強制されにくいという印象が麻酔科にあった。当時あちこちの医局でまだ残っていた「白い巨塔」的な不自由な体質が麻酔科にはなかった。当時の麻酔科のY教授は他の科の教授たちとは違う謹直さを醸し出しており,それはぎこちなくも映ったりしたが,学生に対しても手を抜かず真剣に教える姿に私は好感を持った。

卒業を控えて,他科とはひと味違う麻酔科の不思議な雰囲気の中に私は自分の当座の居場所を決めていた。


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