眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第42回 ハリー先生

ハリー先生コール

病院の中で患者さんが急変し,意識がなくなったり呼吸停止や心停止になったりすると,緊急呼び出しコールが作動する。蘇生チーム要請のアナウンスが一斉に院内放送され,蘇生を専門にする医師や看護師たちが現場に急行することになっている。この蘇生チーム要請システム(緊急コール制)を大学病院に最初に導入したのが M 先生だった。M 先生は,心肺蘇生の権威である米国のピーター・サーファーの所に学び,私が麻酔科に入る少し前に帰国して,病院内に緊急コール制の必要性を説かれた。また,昼夜を問わず病院全体に放送されるこの呼び出しがなるべく他の患者に不安や恐怖を起こさないようにと,「ハリー先生,XX に来てください」というアナウンスで一斉放送するようにしたのも M 先生だった。患者さんは,針井先生とか春井先生という医師が院内に居て,呼び出しがかかっていると思う。病院の職員たちは,この院内放送が流れるとどこかでだれかが倒れたり,意識不明になったり,心臓がとまったり,呼吸ができなくなったりと蘇生が必要な状況が生じていることを理解できる。ハリー先生コールは医療者を一斉に覚醒させるコールでもある。

ハリー先生コールは蘇生チームの呼び出しであるが,そのころ蘇生チームの医師としては,麻酔科医,集中治療医,循環器内科医,外科医が中心であった。なにより蘇生のプロとして麻酔科医が現場に飛んで行って蘇生を行うことになっていた。蘇生現場に行くと倒れている患者さんの近くで何もできずに傍観している医師たちもいる。心臓が止まっている患者さんから逃げようとしている医師たちもいる。そんな医師だけにはなりたくないと思っていた。われ先にと倒れている患者の側に行き,蘇生を始める麻酔科医の姿が格好よかった。

麻酔科に入った後,私はハリー先生コールがかかった時にどんなに遠くとも一番に行けるように日ごろのランニングを強化した。倒れている患者さんのところに最初に着いた医師が蘇生の主導権を握れるからである。麻酔科の医局は病院の南端外来棟の3階にあり,そこから西病棟や北病棟へは相当な距離がある。階段をいったん降りてまた上らなければならない。エレベーターを使っていては遅れてしまう。患者さんのところに到着した時に息を切らしたり,心臓をパクパクさせたりしていたのではまともな蘇生術ができない。ということで日ごろからランニングを欠かさないようにしたかったが,麻酔の研修は朝早くから夜遅くまで続くので思うように走ることはできなかった。週末のランニングがせいぜいだった。それでも学生時代のワンゲル部で鍛えた足腰を頼りに,ハリー先生コールが鳴ると条件反射的に走り出し,患者さんのもとへ懸命に走った。

蘇生と命の尊厳

ある日,ハリー先生コールが鳴ったので懸命に走り,病棟にたどり着き,病室に入ると,60歳代の男性患者の呼吸と心拍が停止していた。早速,蘇生術である胸骨圧迫式心臓マッサージとバッグマスクによる人工呼吸を開始した。私たちは懸命に死に瀕している患者さんを助けようとした。「気管挿管の準備を急げ」とか,「心電図はどうなっているか」とか「心拍再開のためにボスミン(アドレナリン)を引け」という医師たちの大きな声が病室に響き渡っていた。看護師も手際よくモニターを装着し,蘇生薬剤と器具の準備を急いでいた。患者さんのご家族は病室から外に出るように言われ,患者さんから離れたところで祈るように蘇生を見守っていた。

そこに M 先生が現れて,主治医は誰かと聞かれた。その主治医から病状を聞いた M 先生は,蘇生術をただちに止めるように指示された。喧騒が静寂に変わった。実はがん末期の患者さんだった。誰に対しても蘇生をするのが医師の仕事ではない。助けられる命は助けなければいけないが,助からない命もある。静かな安らかな死こそが大切な時がある。そんな時,家族を排除して,大勢の医師や看護師が患者さんを囲み,ただ闇雲に心臓マッサージをするといった命の尊厳を踏みにじるような蘇生法を実施してはならない。麻酔科医は蘇生のプロとして蘇生ができるだけでなく,蘇生をしてはいけない状況を見極める医師でなければならない。病棟から引き上げる M 先生の背中はそのように語っていた。

M 先生からの遺言

M 先生は山が好きな自然人であったが,仕事が終わってもほとんど家には帰らず集中治療室( ICU )に寝泊まりしていた。まるで病院内で自炊生活をされているようだった。登山用の携行食品を取り寄せて食べたりしていた。M 先生のファンは多く,ICU で M 先生と一緒に食事し寝泊まりする研修医もいた。朝食にコーンフレークが流行ったのも若い研修医たちが M 先生の食事スタイルをまねてのことだった。私も山つながりで M 先生に惹かれ,同時に集中治療にも興味を持つようになった。いつだったか,M 先生と山の話をしている時,世界中で最も美しい自然が残されている場所として M 先生は2カ所を挙げた。一つはノルウェーで,もう一つはニュージーランドだった。そのニュージーランドを私は新婚旅行先に選んだ。

麻酔科の2年目に丁度私が ICU を回っていたころ,M 先生は舌の奥に小さな腫瘤がみつかり,生検(バイオプシー)を受けることになった。その日から先生のがん闘病生活が始まった。舌がんはすでに頸部リンパ節に転移していた。手術も行われたが,がんの進行を食い止めることはできなかった。ある日,先生の病室に麻酔科同級でお見舞いに行った。そのお礼にと先生より送られてきたのは寄席のチケットだった。若い君たちはがんも死も自分をも笑い飛ばす力を身につけなさいという,M 先生からの遺言だった。


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