眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第33回 ニュージーランドの祈り

最初のニュージーランド

ニュージーランドは私にとって特別な国である。というのも,もう 30 年以上前のことであるが,日本から遠く離れたこの国を新婚旅行の地に選んだからである。当時ニュージーランドに関する知識は,自然が豊かで,羊の国と言われるほど羊が多く,ラグビーの強豪国で,原住民のマオリ族の勇ましい踊りがあり,スポーツ選手はいつも黒いユニホームを着ているということぐらいしかなかった。いやもう一つあって,それが私のニュージーランドへの興味を繋いでいたのかもしれない。それは,東京オリンピックの中距離走 800 m と 1500 m の2種目で金メダルをとったのがニュージーランドのスネル選手だったということである。中学校時代に私は,スネル選手のコーチであるアーサー・リディヤードが書いた本を買って読み,自らの長距離走の練習に取り入れていた。その教え方は,駅伝部監督が教える走り方とは違っており,両腕は曲げずに自然に下ろして走るとか,呼吸は吸いたい時に吸えばいいという自然流の独自の理論に基づいたものだった。しかし,その教えに従って走っても,監督からは叱られるし,決してそれだけで速く走れるというものでもなかった。

なぜニュージーランドを新婚旅行に選んだのか。それはニュージーランドが未知の国であり,森と湖が豊かに静かに横たわっており,これから新しい人生を歩み出す二人の前途に新しいエネルギーを吹き込んでくれそうな気がしたからである。二人の人生のスタートは人間によってすでに価値づけられた都会からではなく,自然のことわりの中で人が自由に暮らしているような土地から始めようと思っていた。ニュージーランドは南島と北島に分かれているが,私が行きたかったのは,都市のある北島ではなくマウントクックやミルフォードサウンドがある南島である。

当時,ニュージーランドに行くには直行便はなく,オーストラリア経由で行かなければならなかった。料金も格安航空券はなく,相当高価であった。収入も貯金も少なかった私たちにとっては高嶺の花だったが,その頃妻が航空会社に勤務しており,その会社を使えば国内の新婚旅行は無料で,海外の航空会社も半額で利用できた。しかし,それも空席がある時だけ利用できるため,あらかじめ予約することはできないという大きな制約があった。私たちの新婚旅行は,航空券だけでなくホテルの予約もなしで行く,それこそ前途が未知の二人にふさわしい手探りの旅となったのである。早速,経由地のシドニー空港の入国審査で次の便の予約のない人は入国できないと言われ,暗雲たれ込める旅のスタートとなった次第である。

二回目のニュージーランド

昨年(2010 年)の9月,私たちは再度ニュージーランドを訪れた。ちょうど,クイーンズタウンで小児麻酔関連の国際学会があり,学会参加に合わせて夏期休暇を取ることにした。今は直行便が飛んでおり格安航空券も手に入る。もう若くなく,前途が大方既知の私たちは,今回は旅行代理店を通じて航空券もホテルもあらかじめ予約することにした。私たちはまずクライストチャーチに一泊した。かつて訪れた大聖堂に入り,公園を散策し,街を歩き,エイボン川沿いのホテルに宿泊した。31 年という時間の経過はあったものの,大聖堂の中で祈ったあの日のことが懐かしく思い出された。エイボン川沿いの芝生で見つけた番のパラダイスダックのように,この 30 年間なんとか二人は離れずに歩いて来ることができた。そのことを大聖堂のマリア像に感謝し合掌した。

次の日,学会が開催されるクイーンズタウンに移動したが,その翌日,クライストチャーチで地震が起きた。数十キロ離れているクイーンズタウンのホテルでも揺れを感じるほどで,クライストチャーチの一部の建物が崩壊している様子がテレビで放映されていた。幸い人的被害はほとんどないようだったが日本から心配するメイルが入り,無事でいることを伝えた。地震で空港は閉鎖されたようで,日程が1日遅れていたら巻き込まれて学会参加も危ぶまれるところだった。

クライストチャーチ大地震

それから約5ヵ月経った 2011 年 2 月 22 日,クライストチャーチで大地震が起きた。9月の地震とは比較にならないほどの大きな地震である。市内では多くの建物が倒壊するなど大きな被害が発生している。3日を経過した 25 日現在,死者は 102 人に達し,行方不明者が 220 人を超えている。その不明者の中に日本人が 28 人も含まれている。多くが 20 歳前後の若い女性で,語学研修にクライストチャーチに来た学生たちである。国際的な仕事をしたいと研修に来ていた看護師も何人か含まれている。最も被害が大きかった CTV ビルの中に研修所があり,そこにたまたま居合わせた人たちがビルの床もろとも落ちていった。そのビルには地元のテレビ局も入っており,アナウンサーを含めてまだ約 120 人の不明者が居る。うら若き乙女たちの悲鳴が聞こえてくるようだ。一瞬で崩れたとはいえ,のしかかるコンクリートの壁に身動きできず,呼吸ができず,遠のく意識の中で家族を思って恋人を思って眠っていった人たちもいるだろう。まだ生きており,奇跡の救出を待っている人がいるのではないかというかすかな希望も捨ててはいけないが,すでに命をつなぐための時間は限界に近づいている。

数ヵ月前に私たちが散策したクライストチャーチの美しい街が今,がれきの街に変わり,たまたま居合わせた前途洋々たる若い乙女たちが行方不明になっている。人間の魂が天に向かってまっすぐ昇っていけるように,空に向かって一直線に伸びていたあの大聖堂の尖塔さえもが形なく崩れ落ちてしまった。その場にたまたま居合わせた 22 人の不明者がまだ塔の下に埋まっている。

朝日新聞の天声人語に,昨年亡くなった歌人の竹山広さんの一首(阪神震災を詠んだ)が紹介されている。


<居合わせし居合わせざりしことつひに天運にして居合わせし人よ>


原爆にも居合わせた竹山さんの鎮魂の嘆きは深い。今回の地震に居合わせた乙女らの家族の嘆きはいかばかりだろう。クライストチャーチは私たちにとって新しい人生の始まりを記念する特別な街であったが,大地震に居合わせた人たちにとっては人生に終わりを告げるほんとうにつらい街になってしまった。清らかな乙女たちがこの静寂な土地でどうか安らかに眠ることができますようにと祈らざるをえない。ニュージーランドの森と湖が彼女たちの魂を癒してくれることを祈っている。


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