眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第37回 東日本大震災(4):根こそぎの桜の開花

倒れなかった一本の松

本吉町の避難所の近くには桜並木があり,満開の桜が春風に揺れていた。周りにはのどかな田園風景が広がっている。この自然が心の傷を負った被災者たちを癒し,再生の力になってくれるにちがいない。そう思いながら,私は気仙沼から陸前高田に向けて出発した。再び,荒野が広がり,行っても行っても瓦礫の山が続いている。何百個,いや何千個の家が流されている。

陸前高田では海岸から何キロも奥まで津波が襲い,市全体が広範囲に被害を受けていた。遠くを見ると海岸近くに一本の松がそびえるように立っている。松林があった場所に一本だけ倒れずに松が残っている。


倒れずに一本の松残りたり 千年生きて語ってくらい(SH)


大船渡を過ぎ,さらに北へ車を進めた。対向車線は救援車や一般車で渋滞していたが,私の進む方向は流れている。宵闇が迫ってくる。今夜は釜石あたりで寝ようと思ってさらに車を走らせた。釜石市に入ったときはもう真っ暗になっていた。暗闇の中では今どこにいるのかわからない。被害状況もよくわからない。ふと道路案内を見上げると,左に行くと遠野市という表示が目に入った。私はハンドルを遠野市の方角に切った。

今日は遠野に泊まろう。今回被災地を回りながら,何も出来ない自分が亡くなった方々と交流する手がかりが遠野にあるかもしれない。今夜は遠野で眠ることにしよう。柳田国男の遠野物語の世界にある,死者たちと交流できる「異界」がそこにあるかもしれない。

遠野

遠野市内に着き,食堂で餃子とラーメンを注文し,よかったらこれも食べてくださいと店主が親切に出してくれた「たいやき」も一緒に食べた。腹ごしらえを済ませて,寝る場所を探した。幸い,農協か何処かの駐車場が空いていたので,車を止め,持参した寝袋に入って眠ることにした。4 月末とはいえ,東北の盆地の夜は寒く,狭い車の中で身を折り曲げるようにして眠りに就いた。

ザシキワラシやオシラサマで有名な遠野物語であるが,そこには生と死が多く描かれている。生と死の境界が多く描かれている。死にかけている人の魂が人の姿をして別の場所に現れる話もあり,死んだ人が幻影となって姿を現すという話もある。このように,生者や死者の想いが幻となって現れることを遠野地方ではオマクという(三浦佑之,赤坂憲男著「遠野物語へようこそ」ちくまプリマー新書)。しかし,よそ者の私の前に,その夜オマクは現れなかった。

遠野物語には津波で死んだ人の話もある(第 99 話)。海辺の村に婿に行った男が津波(海嘯)で妻と子を失い,生き残った子どもと元の屋敷地に小屋掛けして一年経った夏の初めの霧の夜に,妻と出会うという話である。男が月夜に便所に起きると,霧の中から男女二人が近づいてきた。女は亡くなった妻だった。名を呼ぶと,女は振り返って笑った。女は,同じ海嘯で死んだ男(結婚前に心を通わせていた男)と一緒だった。女は「いまはこの人と夫婦になっている」という。男が子どもはかわいくないのかと女に問いかけると,女は少し顔色を変えて泣いた。やがて足早に去る二人を追いかけようとして,ふと,すでに死んでいる者だと気づく。死者と生者が出会い,対面する場面が描かれている。

今年の夏の夜に,新盆の夜に,どれだけの死者と生者が対面するであろうか。何万人のオマクが現れるだろうか。心静まらぬ死者たちと生者たちの数知れぬ交歓があるに違いない。そして,死者たちの魂を鎮めることができるのは,生き残った者たちの心の傷を芯から癒すことができるのは,私たちよそ者の援助や医療支援ではなく,この地に綿々と伝わっている民俗的な絆ではないだろうか。三陸海岸に生きていく人たちの,共同体の深層に刻まれている民話や信仰や習俗の力と絆こそが,生と死のあわいに立って生きていく彼らの蘇生力になるだろう。

ラジオ体操

翌朝,寒さの中で夜明けとともに目が覚めた。寝袋で寝たのは何年ぶりだろうか。コンビニでおにぎりと味噌汁を買い,遠野盆地の朝焼けを見ながら朝食を摂って釜石に向かった。釜石市までは車で 30 分ぐらいの距離である。釜石市も目を覆うような大被害を受けていた。三陸海岸では最大の市街地なのではないだろうか。銀行やビルがあり,商店街もまるごと津波に浸かっている。

壁に「解体して下さい」と書かれた家があったが,「解体しないで下さい」と書かれている家もあった。いまにも崩れそうな家屋ではあるが,思い出が詰まった家を少しでも長く残したいという思いからだろう。家の前には泥をかぶったアルバムが置かれていた。子どもがおじいちゃんに抱かれている写真や運動会で子どもたちが楽しそうに走っている写真が風に揺れている。


瓦礫からアルバム写真が吾を見る兄妹二人が笑顔のピース(SH)


朝 6 時半になると,高台にある避難所からラジオ体操の音楽が聞こえて来た。
「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ」 
どうか,被災者の皆さんにとって,新しい朝,希望の朝が早く来ますように。

根こそぎの桜

釜石市のすぐ北に両石(りょういし)という町がある。数メートル,いや 10 メートルの高さはありそうな防波堤が町の守り神のように湾の入り口に作られている。しかし,津波はその防波堤を壊し,町を無残に呑み込んでいた。海に面した町は全滅に近い状態だった。町民たちは防波堤が守ってくれると信じて生活していたのではないだろうか。丘の上に神社だけが無傷で残されている。それにしても,海面から 10 数メートルを超えると思われる高さの斜面に植えている桜が,根こそぎ倒れているのを下から見上げると,津波の到達点の高さにあらためて驚かされる。

根こそぎ倒れている桜は,決して死んでいるわけではなく,必死に生き延びて,きれいな花を咲かせている。いなくなった住民たちの死出の旅を彩っているようでもある。この町に住んでいた人たちは,毎年春になるとこの桜を見上げ,愛でていただろう。町は消え,人は土に帰っていったが,花は斜面に残り,倒れながらも花を咲かせている。根こそぎの桜は懸命に楚々と咲いている。この地に眠っている人たちの思いを涙を汲み上げて咲いているようで,花びら一枚一枚が愛おしく美しい。

大槌町

今回の最後の目的地である大槌町は釜石市の北にある。大槌町の被害も甚大である。津波による被害に加えて,大きな火災も起きた。歩道橋がすっぽり抜け落ちている。3 階建ての小児科クリニックが何とか痕跡を残して立っている。院長はどうしただろう。入院患児たちは無事だっただろうか。

大槌町役場の時計は午後 3 時 14 分 25 秒で止まっている。この時刻にここで何人が海に呑まれてしまったのだろうか。地震が発生してから約 30 分の間に,津波浸水想定区域とされている山間までは逃げられず,この小児科クリニックや町役場の 3 階や屋上に避難した人たちも多くいたであろう。

大槌町の東側の防波堤から 100 メートルほど陸に入ったところに異様な光景が残されていた。「はまゆう」という観覧船が二階建ての旅館の屋根に乗り上げている。偶然とはいえ,微妙なバランスで巨大な船が半分ほどの大きさの屋根に乗っかっている。それは,この高さよりはるか上に海が立ち上がったことを意味している。と同時に,小児科クリニックや町役場の 3 階を越えて,海は立ち上がり,3 階や屋上にいた人々を津波が呑み込んだにちがいないことを意味している。

大槌町には,昔近所に住んでいた妻の知り合いが移り住んでいる。地震直後は連絡が取れず心配したが,しばらくして無事が確認できた。東北に行くことを妻に伝えると,出来れば会って来て欲しいと頼まれた。大槌町に着いて,メモに書かれていた携帯の番号に電話を入れたが,結局繋がらず会うことは出来なかった。仕方なく,福岡から持って来たお土産はそのまま持ち帰ることにした。

波止場には漁に出られる日を待ち望んでいる若い漁師たちが数人集まって,黙って海のかなたを見つめていた。


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