眠りと目醒めの間 ─ 麻酔科医ノート

九州大学大学院医学研究院麻酔・蘇生学 教授  外 須美夫 著

第30回 大学病院の医療

現代科学の最先端に立つ大学病院

職場の部屋の窓際に鉢植えのローズマリーが置かれている。朝,出勤して部屋に入ると,まず鉢に水をやり,ローズマリーに「おはよう」と声をかける。そして空に向かって元気に伸びた枝を手の平で包み込むようにして触れ,ローズマリーと握手をする。すると,ローズマリーの香りと元気が身体の中に入っていくような気がする。

大学病院にいるとあちこちで,先進的で先端的で革新的な医療という言葉に出会う。ここでは既存の治療で解決できない病気に対して科学の叡智に基づいて切っ先鋭い治療が行われる。先へ先へと進もうとする医療の刃が確実に病気を切り取ることができればいいのだが,逆に病気を持つ患者さんに深手を負わせてしまうこともありうる。

現代科学の進歩は,形態や物質を徹底的に分析し,病気の成り立ちも物質の異常として,物質を作り出す遺伝子の異常として,また物質間の情報伝達機構の異常として暴き出してくれる。病気の原因を物質の異常として探り出し,その物質を除いたり,弱めたり,物質の作用を変えたりして,病気を治そうとする。しかし,ある物質を除いたり,弱めたり,作用を変化させたりすることで,理論的にはその病気の原因を排除できるかも知れないが,逆にそのようにすることで,生体内に新たなゆがみが生じ,新たな病因が生じうる。せっかく生体が保持して来た恒常性が,病因排除のために作り出された新物質によって撹乱され,生体に新たな異常が発生することがよくある。生体内物質の過不足や異常に対して新物質を創り出して対抗させる医療,先鋭的な対処で切り進んでいく医療は,生体に対する総合的統合的視野を欠き,バランスを欠いた医療になってしまいかねない。

物質至上主義,市場原理主義を超えて

このような物質至上主義の科学の牙城に立っている医療の脆さに加え,市場原理主義の先導も大学病院の医療を危うくさせている。助けるための医療ではなく儲けるための医療に傾きかねない危うさが先進的で先端的な医療という言葉の中に隠れされている。製薬会社や医療機器製造会社は,大資本をつぎ込んで新規の薬剤や医療機器を作り出し売り込もうとする。医師たちは,患者のために,より新しく,より改良された環境下で,より高度な医療を行おうとする。それが最善の医療であり,ベストな医療であると信じこむ。医師たちは医療倫理と市場原理の区別がわからないように,巧みに包囲された状況の中で踊らされかねない。医療も社会的営みの一つであるから収益とか効率とかいう市場原理から逃れられないのは当然であるが,市場原理を優先することによって生命の尊厳という医療倫理が犠牲になることがあってはならないだろう。

大学病院で行われる高度で鋭利な医療が健全な姿を維持するためには,その鋭利な刃を包む込む人間の手が必要である。営利的医療に突っ走らないようにするためには,かけがえのない命に触れる人間の手が必要である。新しい物質の発見に躍起になりすぎず,新しい機器や薬品や商品の開発に迷妄することなく,目の前の患者さんのいのちに寄り添わなければならない。物質に頼らない医療もありうるということを知っておかなければならない。何もしない医療というのが,最善の医療でありうることも知っておかなければならない。

綿々と流れ続け,伝え続け,響き続けるいのちの場に逆らわず,いのちのゆがみだけを修整していく手をもつことができたら,それが最良の医の手であろう。それは奪い合い殺し合い食べ合って生きていく動物の手ではなく,助け合い支え合い寄り添って生きていく植物の手をもつことでもある。麻酔科医として,手術室で麻酔の前に握る患者さんの手や緩和ケアの場で触れる患者さんの手に,ローズマリーの香りと元気を伝えることができればと願っている。


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